日本語の「あなた」や「私」など「誰が」ということを言わないで済ませるという特徴2
みなさま、こんばんは。
のどか日越クラブです。
( 当エントリーは下記のエントリーの続編です。
https://nodokavietnhat.hatenablog.com/entry/210000
日本語の「あなた」や「私」など「誰が」ということを言わないで済ませるという特徴1
もしまだお読みでなければ、上記のエントリーも合わせてお読みいただければ幸いです。)
前のエントリーで、放送大学の「日本語リテラシー」という授業の第11回で、「きさま」や「おまえ」などの相手を呼ぶ言葉が過去から現代にかけて使われ方が大きく変わったことから考えて、将来の日本語でも目上の相手のことを呼ぶ言葉や自分のことを呼ぶニュートラルな言葉などが相手を見下す言葉になるのではないかと予想されていることを説明しました。
滝浦氏によると、日本語という言語は「あなた」や「私」など「誰が」ということをできるかぎり言わないで済ませるという特徴があり、「あげる」や「くれる」という動詞、敬語などを駆使することで「あなた」や「私」などを明示的に言わないように済ませるという特徴もあるということのようです。
そのような特徴があるために、相手を呼ぶ言葉をくっつけると、どのように丁寧に言ったとしても、何となく相手を指さしているような強い感じが出てきてしまう、ということがあるようです。
また、自分を呼ぶ言葉をはっきりと言うことも、「俺が~、俺が~」というような自分を大きく見せることで相手が下がってしまうという傾向がある、と指摘されていました。
(先ほどの例のように)元々は目上の相手を上に置く言葉も、時代を経るにつれて、敬意がすり減っていく、という傾向は、現在の日本語においても、変わっていないのではないか、とのことで、佐久間鼎氏という心理学者の方がそのような傾向を「敬意逓減の法則」という法則として提唱されていることを紹介されていました。
日本語はできるかぎり「あなた」や「私」など「誰が」ということを言わないで済ませようという特徴がある一方で、ベトナム語はできるかぎり「あなた」や「私」など「誰が」ということを言う(ことで相手に対する敬意を表現する)特徴があるように思われます。ベトナム語のそのような特徴に関しては、後日、機会をみつけてあらためてご紹介したいと思っています。
当エントリーをお読みいただき、ありがとうございました。お読みいただいた方々のご参考になれば幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。